ウイルス感染症で問題となるエスケイプ変異株(逃避変異株)の出現について

ウイルス感染症

ウイルスは、自身では増えることができないので、増やしてくれる宿主細胞に感染することで増えていく。細胞に感染して大量の子ウイルスを増やす過程で、いろいろな変異を持ったウイルスを作る。これは、最初に感染したウイルスのゲノムのコピーを量産する際に遺伝子の読み間違い、すなわちコピーミスの結果の産物である。

抗ウイルス剤などで攻撃をうければ、すでに変異を起こしているウイルスの内、大部分は死滅し、たまたま攻撃箇所が変異しているごくわずかなもののみが生き残る。この生き残った子ウイルスをもとに、瞬く間に大量の子ウイルスを量産して次の世代を担わせている(図上)。また、ワクチン接種で上昇してきた中和抗体などの免疫反応が攻撃する箇所についても、同じようにエスケイプしたウイルスが次の世代を担うことで生き永らえている。

このように、ウイルスのエスケイプ株(逃避変異株)が出現する主なメカニズムの1つは、子孫ウイルスを産生する際に必要になるウイルスゲノムのコピーの際の読み間違い(コピーミス)で、これが突然変異である:HIVは約9,000塩基から構成されているが、この中のどこか1塩基を間違える。この間違った塩基の場所はランダムである。すなわち、HIVの場合のコピーミス発生率のように、それぞれのウイルスによってコピーミス発生の確率は異なっていると思われる。一般に、DNAウイルスはコピーミスを修正する仕組みがあるので、このような塩基の読み間違いによる変異を起こしにくいが、RNAウイルスはコピーミスが起こっても修正できないので変異率が高い(新型コロナウイルスは、RNAウイルスの中でも例外的にコピーミスを修正する仕組みを持っているようであるが、あまり効果的と思えない)。このように、RNAウイルスの方が一見下等なウイルスのように見えるが、RNAウイルスはこれを逆手にとる形で、むしろいろいろな攻撃をかわす武器になっている。

HIVは9,000塩基のどこかに読み間違えたゲノムを持った一連のウイルス変異体が製造されるが、1か所のみをアッタクする薬剤を処方された場合は、当然この薬剤の攻撃をかわすことができる、攻撃される塩基に変異を起こしたウイルスが生き残り、次の世代として量産するので、たちまちこの薬剤は効かなくなる。しかし、9,000塩基の3か所を攻撃する3剤同時投与(カクテル療法と呼ばれる、台湾系アメリカ人医師でウイルス学者であるDevid Ho博士の功績)が開発され、HIV感染症の治療法もかなり改善されている。すなわち、変異しやすいHIVも、9,000塩基の中の3か所に、同じゲノム上に変異を引き起こせない(HIVのコピーミスを起こす確率は9000塩基中の1箇所程度)ので、3剤のうちのどれかの薬剤でウイルスのすべてが攻撃されることになる(図下)。 

HIVと同様、インフルエンザウイルスやコロナウイルスもRNAウイルスなので変異を引き起こしやすい。ウイルスによって、コピーミスの確率は異なってくるし、ヒトからヒトへ次々と感染伝播が起こっている間に、複製(増殖)のスピードが上がることで、エスケイプ変異株が起こりやすくなってくる。

このように、RNAウイルスにとっては、攻撃をかわすことが可能な場合には次々と変異を引き起こして生き永らえることができる。ただ、HIVのカクテル療法のように多点を同時に攻撃するような方法を採用できなければ、効果的な対応ができないことになる。エスケイプが生まれるたびに別の対処法の開発が必要になってくる。

興味深い点は、同じRNAウイルスでも、麻しんウイルスや風しんウイルスは何十年もの間同じワクチン(弱毒性の生ウイルスワクチン)が使われているが、長期間ほぼ変わらずに有効性を示している、言い換えれば変異していないといえる。ワクチン接種で上昇してくる免疫反応が攻撃する塩基の場所が、ウイルスにとってよほど弱みになっているところなのか、この点はまだ不明である。




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